数年前のことである。知人の紹介で小さな出版社の社長さんが訪ねてこられた。
人文系の出版社で、目録を見せてもらうと小さいながらも学術書を中心に手堅い商売をしているのがわかる。全国図書館協会や学校図書館協会の推薦図書も多い。社長さんは団塊の世代で、会社は父親が始めたものを10年くらい前に継いだものだという。それまでは、教科書などをつくっている、やはり人文系の中堅出版社にいたそうだ。
「良い本を出しておられますね」と水を向けると社長さんは「いやぁ。良い本ではなかなか経営が成り立ちません」と頭を掻いた。
そこで起死回生の一手として、まんが関係の本を出してみたいのだという。団塊の世代向けの名作復刻と評論やまんがのガイドブックを月に3、4点出す。友人に編集プロダクションをやっているのがいるので、メインの編集はそっちに任せるが、ガイドブックの取材や記事のリライトをこちらで、ということだった。
「復刻や評論はそう簡単には売れませんよ」と説明したが、社長さんは熱心に勝算を語った。小一時間くらい話を聞いて、紹介者の手前もあるので、とりあえず継続して相談に乗ることだけを約束し、その場は終わった。
数日して、社長さんは編集プロダクションをやっている友人を連れて現れた。その人は、もともと広告畑にいた人で、勤めていた会社がバブル崩壊後につぶれて、食べ歩きやショッピングのガイドブックを昔のつてで編集するようになった、という。若いスタッフやアルバイトを使ってかなり手広くやっているようで、木造店舗の2階を借りている私の仕事場を不思議そうに見まわした。
「ま、うちの連中だけでもできないわけではないのですが、Wさん(社長さん)が専門家にもかかわってもらえ、というものですから」と、その人は企画書を取り出した。
なるほど広告畑出身だけあって、企画書としては体裁が整っている。が、肝心の所が問題だった。誰に向けて、どういうコンセプトで本を出していくのかが、まるでわからないのだ。確かに「ターゲット=団塊の世代」とは書いてあるが、団塊の世代の消費行動や、何を求めているのか、は不明だったのだ。復刻にラインナップされた作品も、かつては流行ったかも知れないが、今売れるのかと問われれば首をかしげるものばかり。ざっとそういう感想を述べると「たかだがまんがじゃないですか。難しく考える必要はないですよ。出せば売れます」と譲らない。
結局、社長さんには翌日電話で「お手伝いではきない」と伝え、その話はそのままになった。あとで聞いたら、ムック形式のまんがガイドブックを何冊か出したものの売れなかったそうだ。社長さんの会社はなんとかつぶれずにすんだが、編集プロダクションの友人は夜逃げしたらしい。
長年まんがを扱っている出版社が「売れなくなった」と苦しんでいるというのに、まんがさえ扱えば何とかなる、と考えている人は決して少なくない。国が予算と仮の名称以外何も決 まっていない「国立メディア芸術センター」なるものをいきなりぶち上げたのも、まんがやアニメを扱えば、国民にアピールできると考えたからだろう。人気まんが家を招聘して、まんが学科やまんがコースをつくる大学にもそういうところはある。
まんがのコンテンツパワー、これは確かに今なお衰えてはいない。が、それをビジネスに結びつけるには、それなりの努力や工夫が必要なのだ。
最近、私が編集した『杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの……』(晶文社)という本が増刷になったが、これだって何もしないでぼんやりしていてそうなったわけではない。どんな読者を狙うのかを考え、それにふさわしい造本を限られた制作費の中でデザイナーと相談しながら決め……と涙ぐましい努力をしているのだ。ちなみに、この本では「懐かしい」という読者は意識しないことにした。「カワイイ」「面白そう」と言ってくれる新しい読者の獲得を狙って、絵を中心に編集し、インタビュー記事にアニメーション映画監督の宮崎駿さんやミュージシャンのサエキけんぞうさんに出てもらうなどした。
版元は人文系やサブカルチャー系では人気のある晶文社だが、コミックの棚がないという弱点がある。それを補うためには、同じ時期に杉浦茂の復刻本を出すS社の棚が使えるように交渉した。また、ネットを通じたPR効果をめざして、オンデマンド版で杉浦茂の本を出しているC社にも協力を頼んだ。相乗効果に期待したのである。新聞や雑誌のパブリシティもこちらの狙いに合うところを中心に頭を下げた。
こっちはそれくらいやっているのに「たかがまんがじゃないですか。出せば売れます」と言われてもねえ。
※プライバシーに鑑みて、実際の事例とは少し変えています。
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